予測していた事とかけ離れた事が眼前に現れたとき、それでも人は冷静沈着に判断し行動できるだろうか。狼狽し、我を忘れ、とんでもない行動に走ったりもする。あわてたからといって丸が四角になるわけでもない。がっつりと現実を受け止めれば、道が開けてくることも多い。
次のカルテはと手に取ると、日本猫のタマちゃん。「メス、2~3ヵ月齢、予防」とメモ書きがある。季節柄、子猫たちがウロウロと外の世界に興味を示してさまよい歩き始める新緑の候。どんな方がお母さんになろうと決意してくださったのだろうと考えながらも、子猫が何の病気ももらっていませんようにと祈る。
早速診察室に入ってもらう。
「1週間ほど前に家の前で保護したんです。」
「はじめは飼うつもりは無かったのですけど、家に入れるとだんだん可愛くなってきて・・・」
「主人とも相談して飼うことに決めました。」とのこと。
タマちゃんに目を移すと、子猫に特有のあまりにも円らな、どこまでも澄み切った瞳で、瞬きを忘れたようにこちらを見上げている。そして、目が合った瞬間、ミャーと訴える口元の紅さのなんと初々しいことか。
「(これは誰でもおちるわ。生まれついての大女優。)」
思わず心の中でつぶやいてしまった。抱きしめずにはいられない愛らしさなのだ。
お母さんもすでにタマちゃんにメロメロのようで、
「きちんと飼ってあげようと思って予防に来たんです。」
「猫にも混合ワクチンってあるんですよね。」と、予習済みの様子。
「良いことですね。予防は大切ですから。」
「身体検査をしながら予防の話をしていきましょう。」
タマちゃんの体温を測り、聴診をし、腹部の触診をする。栄養状態も良く、子猫らしいふくよかさがあり、一般状態としては申し分の無いコンディションに思えた。
混合ワクチンについて話し、もともとは放浪していた境遇ゆえに、FeLV(猫白血病ウイルス感染症)とFIV(猫免疫不全ウイルス感染症=猫エイズ)の検査をワクチン接種の前に行った方が安心でしょうということで、それを実施することになった。
採血をし、結果が出るまでの10分間も、飼い方の話や社会化の話などをしながら、あっという間に過ぎてしまった。
そろそろ結果が出る頃だろうと検査室の方をのぞくと、看護婦さんが伏せ目がちに手招きをしている。どうしたのだろうと思いつつ診察室を出る。
検査キットの発色部に目をやると、コントロールスポットのほかにFIVのスポットが青く発色しているのだ。まさかという思いが強い。何から説明しようかと言葉が頭の中をぐるぐると回り続ける。気配にお母さんの顔が曇る。
「ありがたくない結果が出たのですけど、まだ陽性と決まったわけではありませんから、今から話すことをよく理解してください。」
そう言ってゆっくりと可能な限り明るく説明を始めた。