3回目を迎えるこちらのコラム。今回は大阪市で整理収納アドバイザーとして活躍される尾崎蜜柑さんに、16年間ともに過ごした愛猫「キティちゃん」を失った時のお話をお伺いしました。キティちゃんへの思い、そして悲しみを乗り越えるきっかけになったのは?
人生のうねりをともに歩んだ愛猫への思い
「キティちゃん」との出会いは、私が19歳の時でした。
チンチラペルシャのおっとりした女の子ですぐ家族みんなのアイドルに。
その後は、私の仕事の関係で京都、兵庫、東京へと引っ越しを経験。子猫だったキティちゃんも、東京で暮らし始めた頃には13歳になっていました。
高齢だったせいでしょうか。環境の変化に戸惑い、人間のトイレにこもってしまったこともありました。
不安な気持ちは痛いほどわかっていたのですが、私も自ら転勤を申し出ていた手前「頑張らなければ!」と必死に。後ろ髪をひかれる思いで、残業や休日出勤など家を空ける日が増えていきました。3年はあっという間でしたね。
お話を伺ったのは
尾崎蜜柑(おざきみかん)さん
整理収納サービス「かたづけ ねこの手(https://katazukemikan.com/)」代表。整理収納やゴミ屋敷サポートで関西中を駆け回るかたわら保護猫活動も精力的に行っている。
▲ 多忙な尾崎さんを健気な姿で癒してくれたキティちゃん。
やがてキティちゃんは16歳を迎え、体調を崩すようになりました。腎臓が弱って、どんどん物が食べられなくなっていったのです。毎日点滴を打つようになり、フラフラして自分では水さえ飲めない状態に。
寝たきりになった時、毛並みをお手入れしてあげるとゴロゴロと喉を鳴らして喜んでくれました。まるで「私、幸せだった」というように。そして数日後の2009年11月15日、キティちゃんは腕の中で旅立ってしまいました。
人生のさまざまな局面をともに過ごしてくれたその存在はあまりに大きく、「たくさん一緒にいてやれなかった」「淋しい思いをさせてしまった」という悔いや、「多忙な私を慰め、癒してくれた」「くじけそうな時もあの子がいたから頑張ってこられた」という感謝があふれ出して毎日泣きました。
もう猫は飼わないと思いました。家族を失う悲しみが強すぎて、そんな思いは二度としたくなかったのです。
▲ キティちゃんの毛と爪を小瓶に入れて保管。何度も見ては涙を流したそう。
寒空の下で震える小さな命を救いたい
その気持ちが変わり始めたのは4年後のことでした。父の他界を機に関西へと戻った私は、2013年に整理収納アドバイザーとして独立。環境が整ってきた9月初旬、近所で1匹の子猫と出会ったのです。
子猫はとても痩せており、人に走り寄ってはご飯を欲しがっていました。近づいてみると、ぴょんと私の膝の上へ。通りがかった方から「数週間前からいるのよ。なついているからおうちへ連れて帰ってあげて」と言われました。その言葉に背中を押されたのでしょうか。お腹を空かせた、人間が大好きなその子を置いて帰ることはできませんでした。
▲ すだちくんとの出会いがペットロスから抜け出すきっかけに。
その子を「すだちくん」と名付け、家族に迎えました。すだちくんとの出会いをきっかけに、その後2015年には猫2匹を保護し、さらに2016年には保護猫活動TNRに参加。目の前の小さな命を助けているうちに、涙を流す日は少なくなりました。今は、病気を抱える保護猫のために時折泣いてしまいますね。
▲ 今ではすだちくんと共に大切な家族。保護した、たまこさんとかぐちゃん。
今、愛するペットを失い「あの時こうしてあげたら……」と苦しんでいる方もいらっしゃることでしょう。しかし、ペットは飼い主さんの笑顔を望んでいるはずです。どうしても泣きたい時は泣いてください。そして、愛するあの子へ「ありがとう」「愛しているよ」と伝えてあげてください。心は通じて虹の橋で喜んでくれるはずです。私も時間はかかりましたが、「生きる」ことを教えてくれた愛猫のために、前向きに暮らそうと考えるようになりました。過去に目を向けて悲しむのではなく、楽しむためにエネルギーを使い元気に暮らしていく、それが何よりの供養になるのではないでしょうか。
このコラムについて
『 あなたはどう向き合う? ペットロス 』
かけがえのない存在を失った時、私たちはどうしたらいいのでしょうか。気持ちの変化やその時の心境を、さまざまな方の声を通して、一緒に考えていこうというコラムです。