【連載コラム】シニア犬・シニア猫と暮らす Vol.2
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ねこぺんちゃん
2005年6月11日生まれ(推定) 享年 15歳
飼い主さんの人生をも変えた運命の子ねこ!
ねこぺんちゃんとの出会いで、その後の生き方、
そして転職まで決意した。
猫が導いてくれた、新たな道標とは―?
廣瀬章宏さん(57)が、ねこぺんちゃんに初めて出会ったのは、今から17年近く前。しとしとと雨の降る梅雨の日のことでした。
「あの日のことは今でも鮮明に覚えています。休日で、通りでは加賀百万石祭りが盛大に行われ、とても賑やかだったんです」
転勤族で、石川県金沢市で暮らしていた廣瀬さん。
日ごろの仕事の疲れを癒すため、その日も、自宅でのんびり過ごしていると、突然「にゃー・・・にゃー・・・」というか細い猫の鳴き声が聞こえてきたのです。
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外は祭りのどんちゃん騒ぎ。猫の鳴き声など家の中にいる廣瀬さんに届くはずがありません。それでも廣瀬さんの耳には確かに猫の鳴き声が聞こえてきます。
「猫の鳴き声が聞こえない?」廣瀬さんが隣にいた奥さんに聞いても、奥さんは首を傾げるばかり。
「当時、仕事がものすごく忙しくて、帰りはいつも夜遅く、疲れが頂点に達して、幻聴でも聞こえたのか、と自分の耳を疑いました」 -
▲保護された頃のねこぺんちゃん
それでも、廣瀬さんの耳には、はっきりと猫の鳴き声が聞こえてきたのです。
妙に気になり、鳴き声を頼りに外に出て、マンションの植え込みの中を覗いてみると、まだ目が開くか、開かないかくらいの小さな子ねこが捨てられて、雨に濡れてうずくまっていました。
6月とはいえ寒さが残る季節。廣瀬さんが見つけなければ雨で体温を奪われ、その命は助からなかったでしょう。
「迷わず抱きかかえて、家に連れて帰りました。体重ですか?300gくらいだったと思います。すっごく小さかった。猫も犬も飼ったことはなかったのですが、このまま放っておけば確実に死ぬ、ということはわかりました」
何とか助けなければと、自宅に連れて帰り、タオルで身体を拭いて温め、お寿司についていた鯛のランチャームでミルクを飲ませて世話をしていくうちに子ねこは元気になっていきました。
「当時、証券会社に勤めていたぼくは、仕事で朝早く出かけて夜遅く自宅にもどる上、転勤が多く、動物を飼えるライフスタイルではなかったんです。元気になったら飼い主さんを探そう、最初はそう考えていました」
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子ねこに名前をつけてしまうと情が湧いて手放せなくなると思い、廣瀬さん夫婦は、あえて名前をつけずに「ねこちゃん」と呼ぶことに。
ところが、毎日疲れて夜遅く帰宅する廣瀬さんをニャーと出迎え、朝は廣瀬さんの鼻をペシペシと小さな肉球でたたいて起こす子ねこの存在が、大きな癒しとなりました。
「この子を誰かに託してしてしまえば、もう二度と会うことはない、自分がこの子を幸せにしたい、と思うようになりました。そもそも、どうしてあのお祭り騒ぎの中で、この子の鳴き声がぼくの耳に届いたのか不思議で仕方ありません。考えているうちに、この子は何か使命を持って、ボクのところへやって来たんだと思うようになり、うちの家族にすることに決めたんです」
子どものいない廣瀬さん夫婦は、子ねこを自分たちの子どもとしてかわいがろうと話し合ったと言います。 -
▲廣瀬さん夫妻の家族になったねこぺんちゃん
「ねこちゃん」から「ねこぺん」という名前をもらった子ねこは、やがて、廣瀬さん自身の運命も変えていくことに―。
「ねこぺんが来て、猫や犬のことをたくさん調べていくうちに、ねこぺんが捨てられていたように、犬や猫を捨てる人がいることや、殺処分の問題を知りました。“命を捨てる人間”ではなく、“命を救う人間”であり続けたい。嘘偽りなくそう思ったんです。そのためにまず、自分にできることから行動を起こそうと、動物愛護団体でボランティアを始めました」
その後も会員として、ボランティアをしながら動物愛護団体の活動をサポートした廣瀬さん。その熱心さと真面目な人柄が功を奏し、ボランティアを始めて数年後に、同団体から「職員として働かないか」というオファーが持ち上がりました。
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「絶妙なタイミングで、これは、ねこぺんが導いた天職かも、と思いました。ちょうど同じ時期、働いていた会社で早期希望退職者の募集が始まっていたんです。40代半ばを過ぎて、本当に自分のやりたいことは何なのか・・・。ねこぺんが家族になったことで、答えはすぐに出ました」
廣瀬さんはこれまで務めてきた会社を退社し、動物愛護関係の職場へと転職を決意したのです。
「給料は以前の職場と比べると半分(笑)。でも、自分のやりたいことをやっていいと奥さんも賛成してくれました。何よりねこぺんの存在がぼくの背中を押してくれたんです」
仕事でもプライベートでも、廣瀬さんの人生に大きな影響を与えたねこぺんちゃん。
ねこぺんちゃんとの出会いがきっかけで、廣瀬さんは自分の天職を見つけ、充実した日々を送っていました。
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それほど廣瀬さんが、愛して止まないねこぺんちゃんの脾臓に癌が見つかったのは、ねこぺんちゃんが11歳になった時の定期健診でした。すぐ手術し、小康状態を保っていましたが、高齢期になった15歳の時、再び異変が表れました。
「血便が出たので、びっくりして検査に向かいました」
便秘が原因との結果に、ほっと胸をなでおろすもつかの間、やはり違和感をぬぐえたなかった廣瀬さんが病院で再検査をお願いすると、ねこぺんちゃんの大腸に腫瘍があることがわかりました。
15歳という年齢を考え、手術すべきかどうか、廣瀬さんは悩みましたが、幸い、ねこぺんちゃんの健康状態が良かったため手術を決意。
ところがいざ手術をしてみると癌はすでに全身に転移していたのです。
「結局インオペ(手の施しようがない)いう結果でした。その時、余命10日くらいと言われたんです・・・。何としてでも助けたかったのに、逆の結果となってショックのあまりその後どうやって家に帰ったのかも覚えていません・・・」
食欲がどんどん落ちていくねこぺんちゃんに、廣瀬さんはシリンジを使って食事を与え続けました。
「一秒でも長く一緒にいたくて、ステロイドの点滴も家ですることにしました・・・もともと病院が大嫌いな子で、診察台に乗ると大声で叫ぶので時間外の予約を取らなければならないほど。病院での点滴は苦痛だろうと、僕が毎日点滴をすることにしたんですが、やっぱり嫌がって逃げてしまう・・・ついにはぼくの顔を見ると逃げるようになって、これが一番つらかったですね」 -
▲手術後のねこぺんちゃん
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大好きな子に長生きしてほしいがために、あらゆる手立てを考えているのに、嫌われてしまう。「君のためにやっているんだ」とどんなに伝えたくても、ねこぺんちゃんにその思いはなかなか届きません。
そんなねこぺんちゃんを見ているうちに「何が正しいのか」わからなくなり、廣瀬さんは自分を責める日が続いたと言います。
「大好きな子が一番嫌がることをやっている自分ってなんなんだろう・・・。それでも・・・嫌われてもいいから生きていてほしかった・・・」
やがて、その日は確実に訪れました。
体調を崩したねこぺんちゃんに付き添い、異変にすぐ対応できるよう、リビングのソファーで寝起きをしてきた廣瀬さん。
その朝、廣瀬さんが「おはよう」というと、声も出せず、やせ細ったねこぺんちゃんが、その日は「にゃー」と小さく答えたと言います。
「いよいよなんだと思い、それからずっとねこぺんの前脚を握って、付き添っていました・・・・。まもなくクリスマスだったので、今年も絶対にクリスマスを一緒に迎えようね・・・何度も、何度もそういってねこぺんに話しかけていたんです」
しかし願いは届かず、クリスマスを目前に、ねこぺんちゃんは静かに天国に旅立って行きました。
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その後、荼毘に伏され、遺骨となってねこぺんちゃんが戻ってきた深夜、廣瀬さんが眠れずにいると、突然、自宅の仕事机からクリスマスソングが流れてきました。
メロディーの発信元は、机に飾ってあった友人からのクリスマスカード。
「カードは、ポチっとボタンを押すとクリスマスソングが流れるタイプのものだったんですが、そもそも誰もボタンを押してもいない。デスクにも近づいていない。本当に不思議な出来事でした。きっとねこぺんが『ボクはここにいるよ』と、最後のお別れに来てくれたのだと思います」。
廣瀬さんは事務所での電話相談業務で、ペットロスに関する悩みを受けることもあると言います。
「どんな結果でも、飼い主さんが決めたことが一番。相談者にそう応えながら、同じ言葉を自分にも言い聞かせています・・・。あれが正解だったのかどうか、今でも思い出すと胸が苦しくなります。でも、ねこぺんは帰ってきません。今、ぼくがするべきことは、ねこぺんのように、行き場がなく、捨てられる命を減らす事。それがねこぺんとの約束なんです」
不幸な命を一頭でも減らす―。
15歳で旅立ったねこぺんちゃんのメッセージを胸に、廣瀬さんは、今日も動物愛護の仕事に励んでいます。
(取材:2022年2月)
取材・記事:今西 乃子(いまにし のりこ)
児童文学作家/特定非営利活動法人 動物愛護社会化推進協会理事/公益財団法人 日本動物愛護協会常任理事
主に児童書のノンフィクションを手掛ける傍ら、小・中学校で保護犬を題材とした「命の授業」を展開。
その数230カ所を超える。
主な著書に子どもたちに人気の「捨て犬・未来シリーズ」(岩崎書店)「犬たちをおくる日」(金の星社)など他多数。
公式HP:今西乃子ホームページ
YouTube:キラキラ未来チャンネル