【連載コラム】シニア犬・シニア猫と暮らす Vol.3
-
松ちゃん / 蓮ちゃん(チワワ)
17歳(男の子)2004年12月2日生まれ/
13歳(男の子)2008年12月25日生まれ年老いていく愛犬と、病に倒れた家族との信頼関係
猛スピードで年をとっていく犬たちから、
私たち人間が学ぶ大切なことって何だろう―?
「もともと、犬は好きじゃなかったのに、一緒に暮らせば家族同然!可愛くてしかたない」
そう話しながら17歳の愛犬・松ちゃんを抱き、13歳の蓮ちゃんの散歩を楽しそうにしているのは水島陵子さん(70)。
その姿はどうみても犬が苦手だった女性には見えません。
陵子さんが人生最初の愛犬、松ちゃんを自宅に迎えたのは今から17年前。
それは全く予期していない出来事でした。
-
「ある日、主人が仕事場からタクシーで帰宅したんです。見ると手には、チワワの子犬が入ったクレートを持っていた。ただ、ただびっくりするしかありませんでした」
当時、東京都中央区の事務所で自営業を営んでいたご主人の吉紹さん(71)が、東京銀座のデパート松屋でチワワを購入。そのままタクシーに乗って横浜市の自宅まで連れて帰ってきたのです。
犬の衝動買いに驚いた陵子さんが話を聞くと吉紹さんは「これは衝動買いではない」ときっぱり一言。
時間がある時、事務所近くの銀座をよく散歩していた吉紹さんは、散歩ついでに四六時中松屋のペットショップに寄って大好きな犬を見ていたというのです。 -
▲お散歩が好きな松ちゃん(11歳の頃)
「主人は子どもの頃、犬を飼っていたので犬が大好きだったんです。でも当時、うちは集合住宅に住んでいて、動物を飼える環境ではなかった。だから“見るだけ”と、ペットショップに行って四六時中、犬を見ていたようです。
ところが、ショップに通う中、他の犬は売れていなくなっていくのに、このチワワだけが、いつまでたっても売れ残っている。主人は、このまま誰も飼ってくれなかったらこの子はどうなってしまうのか?と、ただ心配で、後先考えずに購入してしまったようです。うちが松を買った時、松はすでに生後7か月を過ぎていました」
ペットショップで販売される子犬の多くは生後2か月を過ぎた頃。
生後7か月を過ぎた松ちゃんは、かわいい子犬の盛りを過ぎていました。
吉紹さんは、連れて帰ったチワワに、松屋で出会ったから「松」と命名。
犬が苦手だった陵子さんは、あまりにも突然の出来事に戸惑いを隠せませんでしたが「命ある生き物」を品物のように返すことなど到底できません。
翌日は松ちゃんを動物病院に連れて行き、健康診断とワクチンを済ませて家族として受け入れることにしました。
松ちゃんを連れて帰った当の吉紹さんは案の定、その日から松ちゃんにべったり。
集合住宅でペット禁止だったため、毎朝4時に起きて、松ちゃんをカバンに忍ばせ朝の散歩に、夕方は2,3時間かけて遠くの広場まで自分の散歩も兼ねて松ちゃんとおでかけしました。
帰りに松ちゃんが歩き疲れたのを見ると、タクシーに乗って散歩(?)から戻るなど、陵子さんが驚くほどの溺愛ぶりです。
-
しかし、ペット不可の住宅での飼育はルール違反。
そこで、松ちゃんに肩身の狭い思いをさせまいと、水島さん夫婦は、自宅のお引っ越しをすることにしました。
選んだのは、吉紹さんの好きなゴルフを楽しめるゴルフ場近くで、松ちゃんの散歩が存分にできる大きな公園と緑がある住宅地の一戸建て。
広い庭と春には桜が満開になる公園が目の前です。
その頃には陵子さんも松ちゃん中心に物事を考えるほど、松ちゃんをかわいがるようになっていました。
「松は子どもと一緒!自分の子がかわいくて仕方がないように、松がかわいくて仕方がなかった」
こうして、松ちゃんのための広い新居では、義母と、義姉の淑子さんも同居することとなり、一層賑やかに―。
さらに、2頭目のチワワ、蓮ちゃんを迎えることになった水島家では、愛犬との生活もさらに楽しくなるはずでした。 -
▲2頭目に迎えた蓮ちゃん
ところが、それからしばらくして吉紹さんが脳梗塞で倒れ、2頭の愛犬の世話と吉紹さんの介護を陵子さんが担うことなったのです。
「松を連れて散歩に出ると、知らない人から“まっちゃん!”って声をかけられるんです。主人が倒れるまで散歩は主人が行っていたし、引っ越してまだ間もなかったので、私は知らない人ばかり。でも、松がいたことで、すぐ地域に溶け込むことができました。犬って凄いんだなあって改めて思いましたね」
ところが、ホッとしたのもつかの間。松ちゃんが大好きだった吉紹さんと松ちゃんの間には、この病がきっかけで大きな溝ができてしまったのです。
「病気で体が不自由になってから、いつもイライラして怒ってばかりで手に負えなかった。あれだけかわいがっていた松のことすら敬遠していました。最初は松も、どうして今までのようにかわいがってくれないのか、とても不安そうで、見ているのも辛かった。
それでも松は“いつかまた優しいお父さんに戻ってくれるはず”と信じて疑わなかったんでしょう。いつも、主人のそばに寄り添い、主人を見守ってくれていました。その一途さは人間が真似できるものじゃない。
主人をひたすら信じて待っていたんです」
-
松ちゃんの気持ちが神様に通じたのでしょうか―?
病から三年ほど経って、吉紹さんは相手の気持ちを気遣う「やさしさ」を取り戻していきました。その「やさしさ」が真っ先に向けられたのは、愛犬、松ちゃんです。
「主人の中にあった“怒り”が消えました。松におやつを差し出したり、かわいがる姿を見ていると、犬には本当にセラピーの力があるんだと。何より松の信じる心が、主人の心をもとに戻してくれた。間違いなく、松がいたから回復が早かったんです」
犬が持つ不思議な力を見て、ますます松ちゃんへの愛しさが増す陵子さんでしたが、松ちゃんは飼い主の年齢を猛スピードで追い越し、気が付けば17歳という高齢になっていました。 -
▲(前)義姉の淑子さん&蓮ちゃん、(後)陵子さん&松ちゃん
-
目もほとんど見えなくなり、耳もすっかり遠くなり、認知症を発症。
昼夜逆転して、夜鳴きが激しい松ちゃんを、陵子さんと淑子さんが夜中に交代で起きて、お世話をすることになりました。
「夜中に松が鳴き始めると、一晩で3,4回起こされる。さて私が先に見に行くか、彼女が先に見に行くか、お互いそんな腹の探り合いをしながら、微妙なタイミングで交代しながら世話しています(笑)」と、老犬介護を冗談交じりに話すのは義姉の淑子さん。
鳴く時間や鳴き声で、お腹が減っているのか、トイレなのかがわかるようになり、ふたりで愛犬の介護を上手に分担しています。 -
▲松ちゃんと遊びたい蓮ちゃん
「年老いた松の介護を通して感じるのは、老いるってこういうことなんだな、という前向きな学び。松は認知症は出ているけど、よく食べ、良く寝て、立派なウンチも毎日する。こういう当たり前のことがどれだけ大切で、幸せなことなのか、松を見て実感しました。
それは私たち人間の老いにも通じること。介護は確かに楽ではないけど、体験を通して人としての学びも多い」と陵子さんは松ちゃんとの17年間を振り返ります。
吉紹さんの介護に、松ちゃんの介護―。ダブル介護にも笑顔を絶やさず、毎日過ごしてきた陵子さんですが、一年ほど前からは4歳年下の蓮ちゃんも病を患うように―。
-
「13歳を過ぎた頃からウンチもオシッコも全くでなくなり、慌てて病院に行くと、会陰ヘルニアと診断されたんです。手術を勧められましたが、年齢的に手術はしない方がいいと決断したんです。それから週に2,3回、浣腸をしてウンチを掻き出し、オシッコも導尿で出してもらうため動物病院へ通院。あの頃は本当に大変で・・・。蓮も辛かったんでしょう。病院から帰った日は気持ちが悪いのか、何度もおしっこを出すポーズをして落ち着きませんでした」
その後、陵子さんと淑子さんは、病院通いを続けながら、蓮ちゃんのケアを試行錯誤した結果、今では薬でウンチもオシッコも自力で出せるようになりました。
それでもいつ蓮ちゃんの状態が急変するか、心配で目が離せず、動物病院が休診の日は不安で仕方がない、と言います。
「今は、松の認知症、蓮の会陰ヘルニア、夫の介護と、トリプル介護です」と明るい笑顔で話す陵子さん。
案内してくれた、ご主人と松ちゃんが過ごすリビングでは、年老いた松ちゃんが徘徊して家具にぶつかって怪我をしないよう、様々な工夫が凝らさせています。 -
▲怪我防止の為、家具の角にぬいぐるみを付けて対策
年をとって、目が見えず、耳が聞こえずとも、今でも松ちゃんの大のお気に入りは吉紹さんのそば。吉紹さんの匂いのする場所です。
体の不自由な吉紹さんはもう、松ちゃんを抱くことはできませんが、松ちゃんは今でも吉紹さんの腕の温もりを忘れてはいません。
小さな、小さなおじいちゃんチワワの松ちゃんは、オムツをつけて、今日も吉紹さんの匂いのするシャツの上で、すやすやと幸せそうに眠っています。
松ちゃんは、きっと、夢の中で吉紹さんの腕に抱かれていることでしょう―。
その腕の中には17年間にも及ぶ温かな思い出がいっぱい、いっぱい詰まっているのです。
(取材:2022年5月)
▲ご主人の吉紹さんを囲んで
取材・記事:今西 乃子(いまにし のりこ)
児童文学作家/特定非営利活動法人 動物愛護社会化推進協会理事/公益財団法人 日本動物愛護協会常任理事
主に児童書のノンフィクションを手掛ける傍ら、小・中学校で保護犬を題材とした「命の授業」を展開。
その数230カ所を超える。
主な著書に子どもたちに人気の「捨て犬・未来シリーズ」(岩崎書店)「犬たちをおくる日」(金の星社)など他多数。
公式HP:今西乃子ホームページ
YouTube:キラキラ未来チャンネル